桜 満開 安中スポーツセンター前
満開 |
◯ ◯ さま
日本の文章「縦書きで右から左へ漢字、ひらがな、カタカナの混じった文字で読み書き」が心身に染み込んでいる。しかも主語、術後も判然としない文章も多い。
もともとここに生まれが育った教育や社会風土の中での伝統が心身に染みついている民族なのかも。
自宅を10時に出て都心で昼食会そして喫茶店での会話を楽しんで自宅へ帰ったのが5時であった(先週)。
西上州の里山に住む我が身にとって誠に恵まれた交通手段である。
JR安中榛名駅が開業して25年 長野オリンピックに間に合わせた新幹線駅で当時は「長野新幹線」 と言われた。
並木の突き当たりが駅 |
加えてコロナ禍でかなり減少していると思われる。 |
都心でまで1時間とあって現利用者は通勤通学者が多いと推測されるがなかなか増えない。
JRは新駅設置にあたって駅前の南斜面に広大な集落用地を確保して分譲した。
妙義山を西南に拝する温暖で清心な空気を満喫できる住宅集落である。
一方 狭い農地に点在する旧集落は急激な過疎化が進み人口も減少中。
自然災害(風雨、地震)が少なく南斜面の温暖な我が集落に元気がなく寂しい限りである。
リモートワーク、遠隔診療、など大きく変わるこの時代にあって、もう一度この地の将来について考えたい。
いろんなものには区切りがある
学生には期末試験、仕事では定年、企業には決算。
人生100年時代とこの頃言われるが、当方は一応の区切りを80歳と決めていた
高齢では個人差が大きいが、概して心持ちが知らずに衰えてくるし他人への影響力も落ちてくる
また、生身であるから何が起こるか分からない。
このごろ思うこと 1
科学の限界について
北大の雪の結晶研究で有名な中谷宇吉郎教授の話を思い出した(岩波文庫かー読んだ覚えがある)
[富士山を削って相模湾を干拓することはできても「高いビルの窓から1枚の紙を落としてその落下地点を正確には予想できない」これが現在の科学の限界であると]。
これは何を意味するか
変数がたくさんある事柄については予測が困難
最近言われているAIを使えばなんとかなるのでは?でも難しい。
データの蓄積がないものから類推と一定の予測を見出すことは厳しい。つまりAIは多くのデータがない限り効果は無い。
ビルの上から紙を1枚落としても正確な落下地点を予測できないのが現代科学の限界である。
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