2018年12月28日

少学校同期生の死


「歳を重ねると言うことは、出会いよりも わかれが増えると言うことだ」

藤沢周平 三谷清左衛門 残日録




同期生S氏が亡くなった。
長年、先生として親しまれ、退職後は地区の公民館長としても活躍され、同期生からも信頼された活動的な人柄であった。
そして、お酒をこよなく愛した。宴席では彼の周りに輪ができた。

弔辞の最終節を下記で締めた。
『貴方が若くして赴任した中之条六合村「小雨にある小学校」近くの暮坂峠に若山牧水の碑があります。牧水はお酒をこよなく愛した旅の詩人でした。

あなたが永久の旅に出るにあたり同期生の声を贈ります。
 お医者さんからはお酒はダメと言われていたでしょう。でももう、我慢は無用です。
  そちらに晩秋や初冬という季節があるかわかりませんが、静かにゆっくり「熱燗に浸ってください。
心からご冥福をお祈りいたします、そしてお別れの言葉といたします。
さようなら。』
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2018年12月18日

ソバ屋「田舎や」開店20周年 祝う忘年会

中学校同期生のN氏がソバ屋「田舎や」を開業して20年になる。
20周年を「祝し」ながら近隣の同期生で忘年会を行った。
古民家の玄関
西上州の妙義山直下に位置し、店は繁盛しています。
(安中市松井田町行田33 電話027-393-1621)

奥さんの田舎料理が良い。近辺で取れる野菜などをふんだんに煮込んだ料理は格別である。
本命の「ザルそば」がまた良い。
小生蕎麦通うではないが間違いなく「おすすめ」である。味にうるさい面々もご満悦で時を忘れた。

盛りたくさんの田舎料理
N氏と奥さん
町会議員など歴任後一念発起 門構えの旧屋敷を使って手打ちの蕎麦屋を。
ご子息が事業継承とのこと
妙義山

2018年11月6日

最後の同窓会 終了


昭和20年入学秋間小学校の同窓会が無事終了しました。
幹事の一人として重荷が降りたと同時に一抹の寂しさを感じます。

23人が集いました。
初回が昭和50年1月(37歳)、今回で15回目(80歳)。

懇親会も話が尽きず遅くまで笑い声が聞こえました。

翌日は希望者で神津牧場、佐久、軽井沢(白糸の滝)など色鮮やかな秋を楽しみました。

妙義山

ひしや旅館



K女性 談
終戦まぎわ、都内で2度焼き出され、お母さんの実家の当地に疎開した。
上野から汽車で8時間かかって安中に着いた。
秋間で6年間の小学生生活。今、横浜に住んでいる。
疎開児童はいじめられたとよく聞くが、
私にはそんな思い出はなく楽しい学校生活でした。
そして、この年になっても同窓会に誘って頂けるのは本当にありがたいことです。

神津牧場
S女性 談
今、あの人はどうしているのか。声が綺麗で歌がうまかった。
昼食の時間になると、そっと姿が見えなくなった。
思い出すとせつなくて。

白糸の滝
ピンコロ地蔵






2017年12月20日

年賀状、今回限りで終了


前回の年賀状の末尾に「そろそろ年賀状クローズ」する旨書いた。
そして、いよいよ今回で年賀状を終了することにした。

現役の頃は金融機関では年末年始は多忙を極めほとんど年賀状は出さずじまいであった。
そんなことで現職離脱後はお世話になっている人、お世話になった人などを中心に年賀状と暑中見舞いを出すように心がけてきた。

年賀状はその年の抱負や期待していることを写真付きで(主に山の写真を中心に)、
暑中見舞いは近況を(季節に合わせた写真と)載せてきた。

自宅前に郵便局があるせいもあり個人の平均よりは少し多めに発信してきた。
しかしながら気力体力とも弱くなり、また宛先の人たちには年配の方が多いことも考えて今回限りとした。

近況などはこの「ブログ」を開いているのでそのURLを載せた。


今までの人たちと何か縁を切るような一抹の寂しさもあるが。

上 年賀状 下 暑中見舞い

角野隼人の街角ピアノ BS1で録画した曲を時々再生して楽しんでいる

 ビートルズの軽快な「レットイットビー」で始まりラベルの「ボレロ」を終曲で豪快に奏でる ニューヨークでの街角ピアノ 録画の画面を撮る 2001.9.11テロ後の世界貿易センタービル整理地に建てられた白い鳩の巨大な駅オキュラスのコンコース そこに置かれた一台のピアノ 角野隼人が全身...